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オンラインサロン40号 「さんちゃんねる5年間の活動を振り返る・2」


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2018年9月1日  第40号

さんちゃんねる5年間の活動を振り返る・2

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★気になるニュース、ブログ、SNS
☆「第302回山田太郎のさんちゃんねる」より「300回記念」
★日本全国青少年健全育成条例の旅 第7回「基本おさらい・2」
☆サロン閉鎖のご案内
★山田太郎が登場する イベント予告
☆山田太郎が登場した メディア総覧
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表現の自由を守る闘いは、新たな局面に入ってきたと思っています。それは、「自主規制」という厄介な問題をどうするかということです。

もちろん、表現の自由だからといって公に何を言ってもいいのか、という問題があります。内心で何を感がえるのも人間は自由であるべきだし、自分しか見ることがない日記などに何を書いても自由です。家族や友人などの間で、様々な話をするのも自由です。しかし、その内容が、ある特定の人を実際に傷つけることになれば、話は違います。誰々を殺してやりたいと考えることは、ちょっと恐ろしいですが内心で思う分は自由です。しかし、そのことを相手が知って、殺されるかも知れないと感じれば、それは立派な脅迫です。刑事罰にも値する行為となります。法律で考えれば、個人を守る法益です。

自らが何を考えても、どんな表現をしてもそれは自由であるべきです。しかし、具体的に相手を傷つけることはしてはなりません。

すると、ある表現は見ると不快に思う、その様なものは相手を傷つけているのではないか? と問われます。もし、その内容が、その相手や特定の人などを指し、かつ相手を傷つける表現であれば、それは避けなければなりません。しかし、不快な表現であると感じるだけなら、それは見なければいいのです。

例えば、ある音楽はある人にとっては心地よいものでも、ある人には嫌いで不快なものという事があります。その時は、聴きたくない音楽は聴かなければいいのです。でも、そんな音楽を聴いていること自体が不愉快である、そんな音楽を聴いている人は許せないという事は相手の内心の自由にまで踏み込むことになります。

加えて、嫌われがちなある音楽を聞く人たちも、音が漏れない部屋かイヤホンなどで、その音楽を聴ける様にしておけばより良いでしょう。音楽を自由に聞く自由は守られつつ、聞きたくない人に聞かせない配慮も必要です。

最近、こんなマンガやアニメ、更には同人誌を見ているから犯罪につながるから根本的に禁止するべきだという意見があります。一つの理想社会のためにある社会秩序を作りたいという考え方です。そして、そういった人たちは、法律で禁止するべきだと主張します。まさに、歪んだ社会法益の考え方です。これには、表現の自由を守るために徹底的に闘っていかなくてはなりません。

表現の自由を守るということは、こういった社会法益との闘いです。しかし、個人法益は優先して守られるべきなのです。最近、このあたりの議論がごちゃごちゃになされ、なんでもかんでも表現の自由がいいわけではないという論調が増えてきた様に思います。

その先にでてきたのが、自主規制です。こんな表現は不愉快である。こんな事をいう人は許せないと、特に芸能人や有名人がそのSNSでの投稿を巡り批判されるケースが多くなってきました。剛力彩芽さんのSNSの件は、話題になりましたが、華原朋美さん、満島ひかりさん、宮沢りえさん、石田ゆりこさんなど次々とアカウントの休止や過去投稿の削除が行われています。まさに、自主規制です。

この自主規制問題は、芸能人のSNSばかりではありません。ジャンプの「ゆらぎ荘の幽奈さん」のお色気表現の件は話題になりましたが、アニメのお風呂シーンや暴力シーンは多くが自主規制される傾向にあります。原作者というより、主にメディアが自主規制を行い、最近は、原作者も自主規制にあうのではないかと気にしながら表現をする様になってきています。「自主規制」が表現を規制(萎縮)してしまうのです。

この「自主規制」がやっかいなのは、政府や行政でもない、民間が民間同士で行う規制です。いろいろな批判、特にSNSでの炎上、それによるテレビや新聞での記事化を恐れて先回りして自主規制を行う場合が増えてきました。

見たくない人は、強制的に見せられるわけではないので、見なければいいのですが、その存在そのものが気に食わない、許せないとなってしまうのでしょう。様々な人の発言もそうです。SNSは、一億監視時代などともいわれます。誰々がここで何を言っていた。犯人の名前は誰々らしいなど、フェイクニュースも含めてネットの世界では情報が駆け巡ります。SNSの炎上が自主規制をさらに誘発します。

一方、SNSでの発言は自由です。しかし、これがもし相手を傷つける事なら。内容が間違っていて、強いては意図的に間違った内容を流すもので、相手を傷つけるものだとしたら?受け手が個人的に傷つくことが拡散されていたら、それは名誉棄損やプライバシー侵害で刑事・民事双方の告発や事件として扱われることになります。個人法益を守る法律に抵触します。それは、もはや自由というものではなく、相手を傷つける暴力行為だからです。これは、報道の自由も同じでしょう。いくら報道の自由といってもその事で、個人が傷つく場合になんでも自由に報道していいものなのか? 社会の公益性と、人権の問題は常にバランスをもって検討されるべきです。

今回は、表現の自由を自主規制と絡めて、別の角度から考えてみたいと思っています。

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