能楽は「アウトロー」!?歴史から学ぶべきこととは(20141208)


■国家と文化
先日、私の番組(「山田太郎のさんちゃんねる」ニコニコ生放送で毎週放送中)内で、このようなアンケートを行いました。

「国家と文化のはどのようにあるべきか」という問いに対して、以下の選択肢を用意しました。

「1.国家は文化にお金も口も出すべきでない」
「2.国家は文化にお金を出しても、内容には口を出さないでほしい」
「3.国家は文化にお金を出して、尚且つ、その文化に敵対する勢力から守るべきだ」
「4.国家がお金を出す以上、ある程度内容の制約を受けでも仕方ない」

結果としては、1番と2番にほぼ回答が集中しました。文化に対して政治的な介入が入ることを、良く思っている方がほとんどいないということだと思います。
アンケート

因みに、私自身の考えとしては「1.国家は文化にお金も口も出すべきでない」と思っています。
やはり「お金を出してもらう」となると、ある程度制約が入ってくる口実が出来てしまうと思います。そもそも、国からの出資が無くても「売れるものは売れる」のではないかと考えています。

■歴史的に見た国家と文化の関係とは
日本を代表する文化として、「マンガ・アニメ・ゲーム」というのは、世界的に認められています。
しかし、現在の日本(特に国家は)その文化に対して、法律などで「規制をしよう」という動きを強めています。

では、今よりも昔の日本における国家と文化の関係はどうだったのでしょうか。

昔の日本では、能や落語、歌舞伎や浮世絵などの、いわゆる「伝統芸能」が日本を代表する文化でした。
興味深いことに、今でこそ「伝統芸能」として非常に崇高な扱いを受けているこれらの文化も、当時は国家による規制を受けていました。
能は「アウトロー的で乞食のようだ」と評され、落語や歌舞伎、浮世絵は「風紀を乱す」という理由で度々規制の対象となっていました。

つまり、今も昔も「大衆的な文化に対して、政府は常に規制をかけてきた」ということです。
こうした文化も、様々な人が規制と戦い、時を経て完成された文化へと昇華し、今では日本の「伝統的な」芸能と言われるまでになったのです。

■「表現の自由」を守るために
戦後の民主主義においては、「表現の自由」ということがある程度「当たり前」であるとされてきました。
当然、私も「表現の自由」は守られるべき権利であると思います。
しかし、歴史的に見ても分かる通り、「表現の自由」とは、常に「規制」と戦い続けて勝ち取ってきたものです。
昨今は、表現の自由を規制するための法律が数多く提出され、それに賛同する方も出てきています。

当たり前のように見れているマンガやアニメ、ゲームが、ある日突然見られなくなってしまうかもしれません。
私達の祖先が守ってきてくれた「表現の自由」を簡単に失わないように、活動を続けていきます。