2024.10.7

「ウクライナ避難民支援の今」ルーマニア・モルドバ視察報告①~政策背景と市内視察編~

 2024年8月17日から6日間、ルーマニア・モルドバにあるウクライナ避難民の支援現場を視察しました。ウクライナの国境付近まで行き、ウクライナから逃げてきた避難民の人たちや、その子どもたちに対してどのような支援が行われているのか、その支援がどうあるべきなのか、あるいは日本は何をすべきなのか、視察で私が見てきたもの、感じたことをブログで報告したいと思います。
動画でご覧になりたい方は、こちら

今回の視察の具体的な目的は、
① 日本が拠出した、ウクライナ避難民を支援するPJの現状を把握すること。
② 緊急下における教育が果たす役割とその重要性を理解し、より脆弱な子どもたちへの支援の在り方および日本ができることを考えること。
③ 人道支援に対する予算のつけ方やNPO・NGOの支援の在り方、また日本の役割について議論すること。

です。 矢倉克夫参議院議員・財務副大臣、現地PJの運営者であるセーブ・ザ・チルドレンの方と一緒に現場を回らせていただきました。

 こちらが、視察都市と内容です。全部で16か所というタイトな日程でした。まず18日の早朝にルーマニアのブカレストに到着し、市内で議会やユースセンター等の視察をした後、その日の深夜にモルドバに移動しました。19日は終日モルドバの首都キシナウを中心にUNICEFの就学前の発達支援センターやEduTechラボ等を視察しました。
 そして、その日の深夜にブカレストに戻り、20日以降はブカレストのサマースクールやカウンセリンハブを訪れウクライナのこどもたち意見交換をしました。21日以降は国境付近のイサクチャ等の支援現場を視察しています。イサクチャの地域へは車で片道4時間ほどの移動でしたが、避難民の方がどのようにウクライナから逃げてきたのか、実際にこの目で見ることができ、非常に重要な機会をいただいたと感じています。

■ルーマニアの特徴
 ルーマニアといっても、どのような国なのかイメージがない方も多いかもしれませんので、簡単にルーマニアの特徴について触れておきます。
 ルーマニアの人口は1,905万人、首都のブカレストに215万人が住んでいます。面積は日本の本州程度で、GDPは約3,018.5億米ドルです。(2022年、出典:IMF)
 1989年に共産主義から体制を転換して以降、ロシアから離れてEUに加盟しました。国民の多くはルーマニアの一部だったモルドバをソ連へ移動された歴史等から、強い反露感情を抱いています。その後も対露感情は残り、強い西側志向がウクライナ侵攻により、更に顕著になりました。人口が1900万人いるため欧州議会での第6位の議席数をもっており、EU内でも一定の影響力を持っています。2004年からはNATOに位置づけられるため、ウクライナ国境での軍事緊張の状態にあると言えます。

 ルーマニアといえば、ニコラエ・チャウシェスク(ルーマニア社会主義共和国初代大統領)を思い浮かべる方も多いと思います。彼はその悪行も知られていますが、外交面においては評価をされていた一面もあります。西ドイツとも国交を充実させていくなど、ロシアとも一線を画す独自外交を展開してきました。また、1969年にはアメリカと中国の国交回復の仲介役も果たしています。北朝鮮とも独自の関りがあり、北朝鮮を訪問した影響を受け「国民の館(豪華で巨大な国会議事堂)」を建設しました。
ルーマニアの体制転換は、東西対立崩壊後1989年に行われ、政治体制の民主化と経済の市場化が推進されました。市民に話を聞くと、「もう35年が経つ。街の建造物にはチャウシェスクの遺産が残っているが、現在のルーマニアではチャウシェスクのことを知らない世代がかなり増えてきた。」と語っていました。

 現在の経済事情については、ITも進んでおり、世界的なアウトソーシングでは、中国インドに次ぐ規模を持っています。農業国家でもありますが、GDPの50数%はサービス業が占めています。
 日本に対して体制転換後のODAへの感謝や、日本文化への関心が高いことからも、非常によい対日感情です。日本語への関心も高く、東欧ではポーランドについて、日本語学習者数(1900名)が多くなっています。
 Uberに乗った際も、運転手から日本語で「日本から来たのか?」と聞かれ、「そうです」と答えると「NARTO(ナルト)が大好きだ」ということを楽しそうに話してくれました。彼女と二人でアニメを通して日本語を勉強中だそうです。
 他の運転手も、自身のコスプレの写真や食べたことのある日本食の写真を見せてくれるなど、日本文化が国民に受け入れられ浸透しているようで嬉しく感じました。後述しますが、こどもたちにも、日本の漫画やアニメが大人気でした。

■ウクライナ情勢
 今回の視察の目的は、「ウクライナ避難民の支援」なので、ウクライナ情勢についても簡単に触れておきます。
 ロシア軍によるウクライナの侵略が開始されたのは、2022年2月24日です。すでに2年半が経過しました。当初は、下図のようにウクライナ西部以外の全正面で地上侵攻され、市街地や住宅地へのミサイル・多連装ロケットによる攻撃し、ウクライナ一般市民の犠牲者が増加しました。その後、圧倒的に優勢とみられていた軍事大国のロシアに対し、ウクライナは抗戦を続け、米欧による軍事支援も、領土奪還を目指すウクライナ軍を支えました。一進一退の攻防が繰り広げられ、最新の2024年6月の戦況が2枚目です。
 戦闘による人的被害の状況は、出所により異なりますがロシア軍は死者12万人~50万人人、ウクライナ軍は死者3.1万人~約7万人、ウクライナ市民の死者は1万人以上、負傷者は1.8万人以上だと言われています。今なお、多くの人の命が奪われている状況です。

■日本政府のウクライナ支援
 日本政府においてこれまで実施したウクライナ支援は以下の通りです。2022年、私がIPU(列国議会同盟)の海外派遣でルワンダに行き、ウクライナから来ていた議員団とバイの階段をした際、攻撃により各地で停電が続くなか越冬支援として発電機の支援を要望されました。私自身も政府への働きかけを行い、ジェネレーターの支援に繋げることができました。

 世界的にみると、日本のウクライナへの支援額は以下の通りで、日本は金額ベースでEUを含む5番目の規模で支援をしています。ウクライナ周辺国には、下図のように数十万単位でウクライナからの避難民を受け入れている状況です。

 

 一方日本においては、2024年6月の時点で2013名の避難民が在留しており、そのうちこどもが305名です。在留資格の柔軟な対応や、相談対応、生活費の支援を行っています。また、補完的保護対象者認定制度 (※)1を活用して、各自治体が日本語教育を提供しています。

■ルーマニア市内の視察
①市内、国会議事堂の視察
 早朝から街の中で、チャウシェスクが残した建築を視察しました。まず旧共産党本部です。写真の左上の建物です。1989年12月21日に、東側の開放への危機を持ち、ここで民衆からの支持をとりつけるため演説をするのですが、ブーイングが起こり発砲事件になりました。秘密警察が共産党本部の左側の地下からでて発砲しました。『国民に発砲するのは許されない』と国防大臣が反旗を翻すことになるのですが、この国防大臣が殺されてしまいます(チャウチェスク政府は自殺としています)。
 これにより、国軍が大統領を支持できないということになり、国軍と秘密警察の間で国内戦のような状況になっていきます。12月25日に、チャウシェスクは国外脱出を図るのですが、運転手もその他も全て反チャウシェスクで捕まってしまいます。そして、即時に軍事法廷にだされ、死刑判決を受けました。そして、政権は終わりを迎え、体制が終了しました。このチャウシェスクにまつわる話はたくさんあるのですが、これ以上はまたの機会にじっくりお伝えします。

 次に通称「国民の館」と呼ばれるルーマニア議会に行きました。世界で2番目に大きな行政建築物です。(1位はペンタゴン、最近タイの国会議事堂が新しくなりそちらが2位だという説もあるようです。)部屋数はなんと1100室、建設費は当時40億€(約6800億円)がかけられました。また、建設にあたり、町の20%を破壊し、5万人の犠牲者を出したそうです。国民の館という名前が、なんとも皮肉です。
チャウシェスクは完成前に亡くなってしまいますが、チャウシェスクが演説をする場所や、歓声や拍手が響くように設計されたホールなどがありました。チャウシェスクが外の群衆に向けて演説するはずだったところを最初に使用をしたのは、なんとマイケルジャクソンだったそうです。しかも、「ハロー、ブカレスト(ルーマニアの首都)」と言い間違えて「ハロー、ブタペスト(ハンガリーの首都)」と挨拶をしたというオチがついていました。

 
②FNTユースセンター
 次にブカレストにあるNGOが運営するユースセンターを訪問しました。スタッフ3名の他、ルーマニア人とウクライナ人、フランス人の高校生~大学生年齢の若者が運営ボランティアとして活動しています。多種多様なアクティビティや、語学教室などが毎日企画されています。綺麗なキッチンがあり、若者が自由に飲み物を飲んだり、おやつを食べたりできます。また、テレビゲームや映画を楽しめるような半個室空間や、屋上施設もありました。
ウクライナから避難してきた若者で運営ボランティアを務める学生にも、いくつかの質問をしました。

Q:ウクライナのこどもたちは、このユースセンターの情報をどこで知るのか? 
A:テレグラムで情報発信しているのでそれを見た。他には、口コミだったり、友達と一緒に来る場合も多い。大人が勧めるのではなく、同世代からの口コミという視点が大事。
ウクライナの学生は、ウクライナのオンライン授業を自宅で受けることができるので外に出なくても学びを継続することができる。一方で、つながりがなくなる。若者が来たくなるようなアクティビティをボランティアの若者たちが自分たちで企画し、情報発信も自分たちで行っている。

Q:ボランティアとして大変なこと、困難なことはあるか?
A:ボランティアはとても楽しい。一番大変なことは、やはり言語の問題。ここ(ユースセンター)での語学クラスもとても需要が高い。学校以外で語学を学べる場、つながれる場は重要だと思う。

Q:今後の住む場所についてどのように考えているか?
A:・ウクライナに家族がいるので、戦争が終わったらウクライナに帰りたい。今はルーマニアにいるので、このままルーマニアの学校に通う。
・ルーマニアにも親戚がいるし、ルーマニア語も話せるので第二の故郷。大学もルーマニアで進学してこのままルーマニアに残る予定。
・まだ先のことが考えられない。いつかは帰りたいとも思うが、決めていない。

 ウクライナのこどもたち同士が繋がり、楽しく活動ができる場が、いかにこどもたちにとって大切な場であるかということを学びました。支援は同じ目的も、同世代がサポートしていくことが重要です。学生自体が運営に関わることで、より多くのウクライナの学生に広がり、かつ楽しく居心地のよい居場所になっているのだと思います。一方で、すぐに祖国に帰ることができない苦しみ、今後の大学進学、就職を含めた悩みの一端を聴き、短期避難という施策ではなく、ウクライナ避難民の支援を長期的に考えていく必要性があると実感しました。
 後述しますが、長期支援というのは口で言う程簡単ではありません。いわゆる「支援疲れ」です。最初の数年は国の全面的な支援がありますが、予算が徐々に打ち切られてしまいます。また、NGO、NPOへのボランティアや寄付金も徐々になくなって行きます。最後はそれらの民間支援団体が人員削減を自ら行い、難民への支援金を確保するという状態です。

△駐ルーマニア日本国特命全権大使片江学巳さん、矢倉克男参議院議員、私

  1. 日本は、1981年に「避難民の地位に関する条約」(以下「避難民条約」という。)、1982年に「避難民の地位に関する議定書」に順次加入し、同条約・議定書上の避難民に該当する外国人を避難民として認定し適切な保護を行ってきました。一方で、近年、紛争避難民のように、迫害を受けるおそれがある理由が、避難民条約上の5つの理由である人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のいずれにも該当せず、条約上の「避難民」に該当しないものの、保護を必要とする外国人が存在しています。
     このような、条約上の「避難民」ではないものの「避難民」と同様に保護すべき紛争避難民などを確実に保護する制度として、2023年12月1日より、補完的保護対象者の認定制度が開始されました。
     「補完的保護対象者」とは、避難民条約上の避難民以外の者であって、避難民の要件のうち迫害を受けるおそれがある理由が人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見であること以外の要件を満たすものであり、補完的保護対象者の認定手続とは、外国人が補完的保護対象者に該当するかどうかを審査して決定する手続です。より詳しくはこちら。https://www.moj.go.jp/isa/refugee/procedures/07_00037.html ↩︎