ChiBiz Inside no.029


日本を超える中国工場

「本当にここまで自力でやったんですか」
深セン郊外に展開する工場を見学して、その工場の管理レベルの高さに目を疑った。「見せたい工場がある」というお誘いを受け、中国人が経営する工場を見学することになったのだが、その工場が凄いのだ。

ラインは整然としていて、機械は一直線にビシッときれいに並んでいる。掃除道具はきちっと片付けられていて、誰が清掃の責任者かを記した表示板もある。通路にはちり一つ落ちていない。まさに整理、整頓の5Sが守られているのだ。

「食堂はさすがに、ここまでではないだろう」と思ったら、その予測も外れた。社員食堂もきれいに清掃が行き届き、テーブルの上は見事なほどにきれいだ。机も椅子も一直線に並べられている。私はこれまで中国現地の工場を何度も見てきたが、ほとんどの工場の社員食堂は不潔で、清掃をしたことがあるのかと疑うようなところすらあった。日系企業が指導した工場などでは生産ラインは整頓されていたりするのだが、社員食堂まで徹底している工場は意外に少ない。指導をする場合も、現地従業員の憩いの場である食堂のあり方にまで口を出すのは、はばかられるからである。

事務所棟にも行ってみた。そこにも信じられない光景があった。

事務所の棚にはきれいに番号が振られたファイルが整然と並べられていて、番号が一つも欠けていない。そして、驚くのは事務職員の机の上だった。ちょうど事務所棟に見学に行ったのは、就業時間も過ぎてほとんどの事務員が退社した後だった。その閑散とした事務所の机の上には、パソコンがきれいに並べられているだけでほかには何もない。まるで、人が働いていなかったのではないかというほど、ものが片付けられている。ゴミ箱も単純な、『燃える・燃えないゴミ』を区分するだけのものではなく、『燃えないゴミ』を資源ゴミ、回収ゴミなどをはじめ7種類も分類したゴミ箱が設置されている。そのゴミ箱もきれいに清掃してから社員は退社しているのだ。

私がこれまで見てきた事務所では、たいがい机の上にはうず高く積まれた書類の山があり、食べ物まで散乱している。そんな一般的な中国企業の事務所とは似ても似つかない。この工場は、すべての箇所において日本の一般的な工場よりはるかに整理、整頓が行き届いているのである。

「この2年間、労働災害はゼロ、不良品はほとんど出さなくなりました。機械の停止回数も格段に減りました。社員の士気もあがり退職者もほとんどなくなりました」と責任者は言う。

そんな工場もつい2年前まではひどい状態だったようだ。

「以前は、とにかく労働災害が多く出ていました。設備の故障個所から油が漏れだし、それに滑って怪我をする労働者がたくさんいたのです。不良品は数えきれない程多く、受注をしては品質不良で次の取引を次々と失注するというありさまでした」

2年前に起こった労働争議をきっかけに、この中国人の工場オーナーは、真剣に会社を良くすることを考えたのだという。

「労働争議が多く、たくさんの労働者が辞めていきました。もう、工場を閉めるしかないと何度も考えたほどです」

そこでオーナーが考えた打開策は、『日本の工場に学ぶ』ことだった。日本の工場や、中国に進出してきている日系の工場を見学し、そこで『5S活動』、『TQC(トータル・クオリティー・コントロール)活動』などを知った。

「早速、日本から5SやTQCなどの改善活動ができる先生を呼びました」

当初は、日本人を工場長にして、日本式工場経営を徹底しようと考えた。しかし、日本人の工場長に命令されて中国人が果たして本当に従うのか、オーナーは疑問だったという。

「『面従腹背』という言葉があります。中国人はプライドが高いですし、押しつけられて現場の労働者が納得するとは思えませんでした。けれども、日本には素晴らしい工場、非常に合理的な工場の管理手法がある。それを徹底的に学ぶことができないか。それを中国人が学び、中国人によって中国人の意識を改革する方がよいのではと考えたのです」

そこで、最初は日本から改善の指導者を呼び、その後、2年間、毎月1回の指導を受けて、トップ自らが率先して工場の改善に乗り出したのだという。

日系工場で働く中国人には、彼らが感じる日本人管理者像がある。「中国人を育てる意識がない」「中国人を最初から信用していない」「精神論がほとんどで、とにかく頑張れの一点張り」「結局、日本の本社に相談しないと何も決められない」「何かを始めても2~3年ぐらいの配置転換で帰国してしまう」といったものだ。私は中国の日系企業で働く労働者から、何度も同じ話を聞かされてきた。

「最初の1年間、改善は無理ではないかと何度も諦めかけました。それほど、当初、現場にとっては、改善は受け入れがたいものだったのです。しかし、1年半ほどで効果が現れてきました。このころから幾つかの改善のための小集団活動が生まれ、自主的な活動を始めたのです」

目を潤ませながら「工場の奇跡」を私に語ってくれた中国人オーナーは、最後にこう締めくくった。

「変わらないということは、ただ死を待つということなのです」

その言葉に私はドキリとした。まるでそれが私たち、そして日本の産業界に向けられた言葉のように聞こえたからである。★
(山田太郎)