2018.10.31

オンラインサロン最終号 「支えてくださった皆さまへ感謝いたします」

本号はサロン途中退会の方へも感謝を伝えたく、特別に一般公開いたします

□■□僕たちのニューカルチャー、山田太郎メルマガ□■□
2018年10月31日  最終号

支えてくださった皆さまへ感謝いたします

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★サロン閉鎖のご案内
☆メルマガバックナンバー再送のご案内
★国会議員秘書だったからこそ知っている政治の裏話・21
☆御礼及び青少年条例関連記事の今後につきまして 永山薫
★今さら訊けないキーワード解説 第二十三回 表現の自由と公共の福祉
☆山田太郎が登場する イベント予告
★山田太郎が登場した メディア総覧
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本号でサロンは、最終回となりました。
サロン会員の皆様には、今まで支えていただき本当にありがとうございました。

2016年8月からスタートして、53号まで出すことができました。前回の参議院選挙に落選の直後から、皆様の様々な声を聴いてサロンをスタートしました。

最期に、このサロンが始まるきっかけになった2016年当時、選挙戦にまで振り返ってみたいと思います。それが、このサロンと私が今後、どの様にしていかなくてはならないか、その答えが見つかるかも知れないと思っています。

先の選挙では、2016年1月頃の段階で、参議院比例区の当選必要票数の問題、出馬する党が決まらない問題など、スタートからとても再選などあり得ないという雰囲気でした。私の秘書軍団からも「再選することはほぼないので、無駄に時間やお金を使わず、元のビジネス界に戻った方がいい」と真剣に言われました。私に近い支援者の多くも同じ意見でした。「勝てない選挙はするべきではない!」それが共通した意見でした。

私の周りの同僚議員は、選挙に勝てない見込みの議員は政治家引退を決めたり、選挙に勝てる見込みの強い他党への移籍を早々に済ませたりしていました。

出遅れ感満載の私は、それでも国会議員の本分は政策と、選挙の年の1月からの通常国会でも予算委員会を始め、決算委員会、内閣委員会、その他、党の政調会長や幹事長代行という職務もあり、多く時間、国会での活動を進めてきました。これは、再選を目指す国会議員からすれば、本当に馬鹿でした。どの党の議員も選挙番(選挙をその年に迎える)の議員は、国会や党務の一切の職務を離れて選挙活動を行います。特に、参議院比例区は、個人名を覚えて書いてもらわないとならないので全国行脚のため、テレビ入りをする予算委員会など以外、委員会活動も離れていきます。

私は、2016年の1月、選挙活動のスタート時点からつまずいていたのだと思います。

その一方、表現の自由を巡る問題では、消費税の軽減税率適用時の有害図書指定の問題で参議院予算委員会にて論戦が盛んにおこなわれている状況でした。背後では、TPP締結による著作権の非親告罪化の問題や青少年健全育成基本法の国会への再提出など、表現の自由に関する環境は緊張が高まっている環境にありました。国会の論戦を通じて、「二次創作」「同人誌」「コミケ」などの言葉が国会でも使われる様になり、それぞれの大臣や総理まで口にするようになりました。マンガ・アニメ・ゲームなどのサブカルチャーが国会でも無視できない存在になった瞬間です。

そして選挙とは関係なく、私の所に表現の自由を守ることを支持する声が集まりつつありました。身内からは再出馬に強い反対論もあり、2016年の当初は、出馬は見送り今期をもって引退というつもりでいました。一方、反対にどんどん強くなる「表現の自由を守る」必要を訴える声。

しかし、具体的にどれぐらいの人たちが支援してくれているのか? 全く分からない中で、それを可視化するためにも「表現の自由を守る党」をネット上で結成し、その参加者が5千人を超さなければ、今期をもって引退をするつもりでいました。結果は、ご存知の通り、2週間で2万人を超え、結果に驚くばかりでした。(当時の与野党の議員でも個人候補への支持者が1万人を超すことは珍しかった)

この段階では、当選とは別に現職の議員ですから、最後の審判を有権者から仰ぐためにもなんらかの形で選挙にでる必要が出てきました。ですから、所属政党の出馬要件が無くなってしまったので、他党からの出馬を働き掛けたのです。もちろん、他党に移ると言ってもそれでも再選は無理であろうと考えていました。本当のところは、再選が目的ではなく、全国区から出馬してどれぐらいの支持があるのか確かめるというのが狙いでした。

蓋を開けてみれば、皆さんご存知の通り、選挙の結果は、29万1188票。落選したものの全野党候補の中で最多、憲政史上最多得票落選者として4位の記録となりました。全国47都道府県全域に支持はいきわたり、個人名では、各都道府県や市区町村で与党候補を抑えて一位という所も多くありました。

アキハバラにあった私の選挙事務所は、落選したにも関わらず、明るい雰囲気で29万票(明け方事務所解散の時は開票中で26万票)という奇跡に拍手する輩も多くいました。

さて、落選後、今後どうするのか?

29万票獲得の事態は、当時のとても落選してハイさようならという雰囲気ではありませんでした。この結果に責任も感じました。これだけ期待されて「表現の自由」の火を消してはならない。そんな使命感が生まれた瞬間でもありました。

「今後、当面はこの票をいただいた責任を果たすべく、表現の自由を守る活動を続けます」こう宣言して、選挙事務所は解散となりました。

その責任を果たすべく、ネット放送の山田太郎のさんちゃんねる、コミケ街宣活動は続けるとして、今後の記録を残す活動としてメルマガの発行も決めました。そして、活動の資金捻出のためメルマガはサロンとして有料とさせていただきました。

ですから、このサロンとコミケ街宣、さんちゃんねるのネット放送は、意地でも続けてきました。青健法や有害図書指定問題などの政治問題もロビー活動をしっかりしてきました。現職の議員でもない身分や状況下で、これらの活動を続けていくことがどれぐらい大変か? これほどの規模で民間の状況下で一つの政策に対して続けることができた人が他に誰かいたか? それだけが、自負心です。

これらサロン、コミケ街宣やさんちゃんねるのネット放送などの情報発信で皆様からの支持があって続けられるものです。特にサロンは、活動費の元手を支えていただいている、最も支持者に負担を頂いているものです。

しかし、今年の夏のコミケ街宣では、その時のテーマとしていた有害図書指定の問題がネットでまったく拡散されず、街宣活動での発言で誹謗中傷が相次ぎ、発言していないことまでネットで拡散される事態となりました。これまでの活動とは雰囲気が一変してしまったのは事実です。何が言えば叩かれる、違う様に伝えられる、自主規制の波とともに民間通しの潰しあいはより過激な状態になってきたと思っています。

これでは、私が街宣活動を続けることは、表現を守るためにはマイナスです。私の発言が、全く違うこと、時には逆のことを意図的にどんどん拡散されてしまう。議員ではないことも、その活動には限界を感じました。(前回52号のサロンの中で、永山薫さんの「山田太郎氏は何故叩かれるのか?」という記事でその原因などはよく理解しました)

全ての活動をすぐに見直さなくてはならない。そんな中、特に資金を捻出していただいているサロン会員の皆様には、このままでは本当に申し訳ないと考え、サロン閉鎖を決めました。

さて、サロン52号では、ともにサロンの編集を手伝っていただいて来た永山さんに、今回のサロン閉鎖やコミケ街宣終了について、痛烈な批判をいただきました。寄稿文中の『◆山田太郎氏に質問』でも2つの質問をいただいています。最後に回答する責務があると思いますので回答したいと思います。

1)参議院選挙に出馬するですか?

私が選挙に出馬し、単に政治家や国会議員になることに興味が無いことは理解していただいてると思います。私は、政治家よりも遥かに長く深くビジネスマンや大学の教授などをしてきました。国会議員も一度経験しよくわかりましが、既存の政治家と比較しても私の性格上政治家向きではありません。政策より党派(政党)、政策より選挙という当選し続ける政治家にとって当たり前な理屈は私には身についていません。逆に、前回、勝てないかも知れない構造の中でも出馬した(スタート時は当選する気がなかった?!)のは、たぶん、私が当たり前な理屈を理解していなかったからなんだと思います。

他に私以上にこの問題に積極的に携わる人がいるのであれば、私は素早く道を譲りその人を応援します。しかし、前回出馬したこと、これまで表現の自由を守る活動を継続してきた理由は、他に誰もやる人がいず、それがとても重要だと感じたからです。更にその時々の皆さんの声に後押しされた結果です。

2019年の参議院選挙への出馬については、全ての可能性は否定しましせん。しかし、表現の自由を守ることは重要であっても、何故、私が再び議員としてやるべきなのかという答えと機運、そして出馬すべき政党がなくては、とても出馬ということにはならないでしょう。

2)政策実現可能性をどう追求し情宣するか?
(表現の自由だけではなく、マンガ、アニメ、ゲームの振興、子ども庁、杉花粉症、尊厳死問題、などまだやることがあるはず。出馬に関わらず、引退しない限り、表現の自由の会、AFEEを通じての“オタク”クラスターを中心とした消費者運動、啓蒙活動、あるいはそれらを包摂する形の新団体(または山田新党)を立ち上げるなど色々とやれないのか?:52号永山さん質問引用)

2016年7月に落選してからも、民間の立場としてサロン、さんちゃんねる、コミケ街宣、その他、様々な形で続けてきたつもりです。その間も関わり続けた青健法やTPPは、良い結果になったと自負しています。さんちゃんのネット放送は隔週しっかり続けてきましたが、好き勝手に放送で発言してきたのではなく、きちっと裏をとり、内容によっては、政治への働きかけを具体的にしてきました。

しかし、これらの活動も議員としてバッチをつけていないと、活動を続けるにも限界があることを民間の立場で痛いほど知りました。私は、長くビジネスマンを続けてきましたので、評論家的な活動をあまり好みません。様々な評論をし続ける事は重要なことです。テレビでも言いたい放談言うコメンテーターが必要であることもわかります。しかし、私は結果を出す、結果を残すのが最も重要と考えるタイプの人間です。

これまで、民間の立場では、政治的マターについては、間接的に元同僚議員や関係議員の間接的な協力をいただき進めてきた事が多々ありました。しかしこれ以上は限界です。それらの議員にもこれ以上は迷惑が掛かります。消費者運動を続けるというのにも向き不向きがあるのだと思います。

以上永山さんの質問にお答えしました。永山さんからは、もっと厳しい質問が飛んでくるものだと危惧、いや期待?していました。本当は、もっと言いたいことはあるのではないか? と逆に危惧しています。

指摘通り、前回の2016年の落選時の29万票に対する約束や発言については、責任をもってぎりぎりまでやっていきたいと思っています。その後は未定です。ただ、「皆さんの山田太郎でありたい」その気持ちは変わりません。

さて、サロンももう最終回。毎回、発行は編集会議、ネタ集め、執筆と大変でしたが、ここまで続けることができました。それは、このサロンを見ていただいている熱心な方々がいたからです。

12月から日本各地でフォーラムも開催し、皆様の声を直接集めたいと思っています。山田太郎のさんちゃんんるのネット放送は、当面続けます。そこで、コメント等をいただくか、私のホームページにもご意見をください。しっかり拝見させていただき、タイミングを見てしっかりお答えもしていきたいと思います。

このサロンを購読していただいた皆様、本当にありがとうございました。そして、編集にも携わっていただいた、永山さん、佐藤さん、坂井さん本当にありがとうございました。

2018年10月31日 山田太郎

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本日22:00~の山田太郎のさんちゃんねるでは、「今日でオンラインサロン最終日。本当にありがとうございました」特集を行います。永山薫さんにも出演頂く予定です。是非、ご覧下さい。

https://taroyamada.jp/nico

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過去のサロンについて、メルマガをダウンロードできないという声を何人の方からか頂いています。

ついては、以下の情報をメールまたはTwitterのDMでお送り頂けますでしょうか。該当号のメルマガを再送させて頂きます

・synapseでのハンドルネーム
・参加の年月(分かれば)
・ダウンロードできないメルマガ号

▽連絡先
HPの問合せフォーム
@takato1204

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国会議員秘書だったからこそ知っている政治の裏話・21

坂井崇俊です。

いよいよ、このメルマガが最終回ということで、今回は番外編として、秘書裏話の振り返りと、表現の自由を守るということについて思うことを書きます。

秘書という仕事を3年半やってみて、特にびっくりしたのは、政治家というのはうまく使えばこんな便利なものはないということと、そして、政治家は結構簡単に動くということです。

なんだかんだで、政治の力はやはり大きいです。世の中を動かすためのアイコンとしての政治家の意味も、実際に議会での政策論争を通じての行政を動かす力という意味でも、例え、一議員であったとしても非常に大きいものがあります。

しかし、その政治家は周りからどのような意見を聞いて、どのような損得勘定で動いているのかということは、以外に単純だということは、これまでの連載の中で触れてきたとおりです。

現職の大物政治家が少し良い所のサラリーマンのボーナスぐらいのお金を受け取って、動くというニュースはよく聞きますし、中にいて、その感覚になるのも理解できるところです。もちろん、皆さんに対して贈収賄の片棒を担げといっている意味ではなく(献金との差は不明ですが)、それくらい簡単に政治家は動くということです。

一つの大きな理由として、政治家に対して具体的な政策提案をする人が周りにいないことが上げられます。もちろん、政策提案は国会議員本人やその秘書の役割になるのですが、まわりの有権者の声も政策に影響することは事実です。

デモを行うことも一つの手段ですが、SNSやメール、FAX等で政治に対して直接声を届けるのも一つのやり方です。むしろ、デモよりも大きな意味があると思います。1万人のデモよりも100人のメールの方が効果はあります。

それは、議員がone to oneでコミュニケーションを取っている人の数に限りがあるからです。正式に政策アドバイザーとして意見するわけではなく、単純にメールなどの手段で意見を届けることが、議員にとって意思決定するときの判断材料の一つになるのです。

こと、表現規制の問題については、議員一人の力で何とか出来るサイズ感の問題であります。例えば、国の統治機構に関わる問題であった場合、一人の議員の力で問題の解決を図るのは非常に難しいですが、表現規制の問題についていえば、統治機構と比べると小ぶりであり、扱いやすい問題であることは事実です。

また、政治の世界では党議拘束があるのが普通ですが、例えば生命倫理の問題など政党が党議拘束をかけない場合もあります。これは、個人の根源的価値観に強く依存するためです。表現規制の問題もこういった問題に近く、政治的スタンスとは違う意味で議論できる種類の問題です。

与党から野党まで、賛成派もいれば反対派もいるという現状からも明らかでしょう。こういった問題は、個人で取り組んでも政党からはおとがめされづらい問題で議員として扱いやすいのです。実際に児童ポルノ禁止法は議員立法という形で提出されていて、議員の有志による提出という意味合いが強いです。

ここまで、書いてきて結局何が言いたいのかと言えば、是非、皆さんには是非、行動して欲しいということです。一人でも多くの人が動けば、必ずその意見は政治家に届きます。心の中で思っているだけでは、政治家に声は届きません。

それぞれの政治家にはポリシーがあり、そのポリシーまでも変えることは簡単では無いかも知れません。しかし、いくつかあるポリシーに優先順位をつけてどれを行動に移すかを考えた時に、有権者の声は非常に大きな意味を持ちます。みんなで、多くの政治家の表現規制問題に対する優先順位を上げていかなければと思っています。

表現の自由は勝手に守られるものではありません。常に声を上げ続けなければ、自由の範囲は縮小してしまうでしょう。怖いのは表現の自由が縮小してから、それを元に戻そうとするのには非常に大きな労力がかかってしまうのです。「表現の未来のために、今、がんばりたい」という行動が大事なのです。

数年前、韓国に行きました。そこで、ウエスタンハットを被った渋い西洋人が吸っているタバコにモザイクがかけられていました。私たちは、それを見たときに、表現規制が進むと、あ、タバコにすらモザイクがかかってしまうのだと危惧を感じます。

しかし、本当に恐ろしいのは、それに慣れてしまった人たちは、タバコにモザイクがかかっていることに何の疑問も持たなくなってしまっているということなのです。表現規制の怖いのは、規制された世界に慣れてしまうと、もとの世界を思い出せなくなってしまうことなのです。

だから、最低限、今の状況を維持し続けることは非常に重要です。しかし、その活動にゴールはありません。例えば、刑法175条のわいせつ物頒布等の罪を撤廃しようと運動であれば、それが達成出来たときに目的は達成されたことになります。しかし、“守る”運動にはそのゴールがないのです。

攻める運動は共感を持てれば力になるし、ゴールも明確なので、活動体としても力を持ちやすいです。しかし、守る運動はその力を得ることが出来ないし、平時にそのモチベーションを維持していくのは難しいことです。

これまでの表現規制運動反対の歴史の中で多くのプレイヤーや団体が表れ、そしていなくなっていきました。僕は、そのいなくなってしまったプレイヤーや団体を責める気には到底なれません。なぜならば、少なくともそのプレイヤーたちは一度、活動に積極的に参加したという点で、この問題に対して貢献をしているからです

守る活動には成果はありません。本当は、現状を維持したということが、活動の成果なのですが、一般的にはそれは成果として認められません。むしろ、何かしらの理由で前線の放棄をしなければならなかった場合、その最前線で闘っていた人の責任が問われることになります。

今まで表現の自由を守るために闘って来た人たちは、みんなの表現の自由を守るために、表現の自由があるからこそ楽しめるマンガ・アニメ・ゲームを自分自身が楽しむ時間を削って闘ってきた人たちです。それは、本当に自分の好きなものを守りたいという気持ちがあるからこそ出来る活動だと思います。

その闘っている人たちを後ろから刺すことは、絶対にやってはいけないことです。少なくとも、意見が違うのであれば、まずは、自分が実際の行動を起こしてから、再度、考えるべきです。何も表現の自由を守るための行動を起こしていないのに、闘っている仲間をTwitterなど安全な場所から攻撃する行為は本当に卑怯だと思います。

僕は今、AFEE(エンターテイメント表現の自由の会)の編集長(代表)をやっています。メンバーには月に約10時間をその活動のために提供してもらっています。なかなか、成果を出せずにいる中で、手伝ってくれているメンバーには本当に感謝しています。

実は、AFEEのメンバーも5年間の活動の中で入れ替わっています。やはり、この活動の継続の難しさの理由が一つだと思っています。AFEEを立ち上げた頃、諸先輩方には、「意気込みすぎず、息の長い活動を続けてね」と言われましたが、最近、やっとその本当の意味が分かってきた気がします。

しかし、同時に、息が長い活動であったとしても、成果が出せなければ、その活動は意味がないし、メンバーのモチベーションは落ちてやがて、活動自体が崩壊してしまうでしょう。そのジレンマを最近まで抱えていました。

最近、一つの結論に達しました。今までは、メンバーがボランティアだからといってそれぞれに負荷をあまりかけないように活動をしていました。しかし、それで、成果が出ず、活動が意味のないものになるのであれば、メンバーに負荷がかかってでも、きちんと成果が出る活動にしたいし、その成果をメンバーと喜び合える組織にしたいという気持ちが強くなってきました。

もちろん、メンバーの負荷が増えて、成果が出なければ、それは僕の責任です。でも、守る活動だからこそ「表現の未来のために、今、がんばりたい」という気持ちでやらないといけないのかなと思っています。

そして、もう一つ。この活動の継続が難しい二つ目の理由が資金の問題です。今まで書いてきたように“守る”運動自体が積極的な賛同を得るのが難しいのは事実です。結果的に、精神的な面でも資金的な面でも活動中止してしまう理由になっているのだと思います。

AFEEでも実は、役員会などを開催する際の交通費などもボランティアでやってもらっています。せめて、その交通費ぐらいはAFEEとしてだせるようになりたいと思っています。それは、メンバーに活動を継続してもらうためです。それが結果的にAFEEや表現規制反対運動の為になるからです。

この、サロンもそういった資金面で皆さんから支えて頂くために作ったものです。多くの方から支援を頂き、これまで活動を続けて来れたことは本当に感謝しています。そして、この中途半端な段階で、打ち切りになるということは非常に残念なことです。申し訳ございません。

しかしながら、この表現の自由を守るという活動に終わりはありませんし、僕もこの活動にはまだまだ関わっていくつもりです。山田さんも変わらず活動を続けてもらえるものだと僕は信じています。だから、皆さんにもお願いです。小さくてもいいんです。是非アクションを起こして下さい。

ご協力よろしくお願いします。

最後に、マンガ論争の永山さん、佐藤さんにはメルマガ発行にあたって、多くのご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。(この原稿も締め切り過ぎてます。すいません)

そして、皆さん、今まで本当に長い間メルマガを購読して頂き本当にありがとうございました。また、他の場所でお会いすることもあると思いますが、よろしくお願い致します。

坂井崇俊
@takato1204

ちなみに、文中で使った「表現の未来のために、今、がんばりたい」はAFEEの次の冬コミの配布チラシのキャッチコピーです。編集委員の中谷さんが考えてくれたのをパクりました。すまん笑

AFEE:エンターテイメント表現の自由の会 公式HP


*AFEEは、マンガ・アニメ・ゲームの表現の自由を守るための消費者団体です。
是非、寄附・会員登録をお願いします。

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ご購読御礼及び青少年条例関連記事の今後につきまして
永山薫
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本メルマガにおきまして、東京都青少年審議会における不健全図書類指定と全国の青少年条例による有害図書類指定について、たまにお休みすることがありましたが、なんとか最後まで走り終えました。

ご購読と間違いを指摘していただいた読者諸賢に改めて御礼申し上げます。

メルマガ連載の東京都審議会分については、議事録公開分は総て紹介と論評をすることができました。全国の有害図書類指定の現状についてはまだまだ足りませんが一応の締めくくりとしてデータを挙げておきます。

◆ここ一年の東京都不健全図書類指定概況(17年11月~18年10月)

2017年11月・第689回
伍堂なめ『オトナあそび』(サン・メディアレップ)BL

2017年12月・第690回
宝あきひと『天使妹とダメ姉de無理やり三角関係』(ジーウォーク)LE

2018年1月・第691回
神戸ゆみや『本日はお日柄もよく… 』(茜新社)BL
アンソロジー『複数・モブレBL』(英和出版社)BL

2018年2月・第692回
ぱららん『屈辱服従学園』(トライアングル・フォース)LE
理原『パブリック・セックス』(Jパブリッシング)BL

2018年3月・第693回
鬼丸すぐる『SF(セックスフレンド)』(リブレ)BL
山本直樹『分校の人たち 3』(太田出版)LE

2018年4月・第694回
しみり『ミニサイズでもギャルお兄さんは落とせる』(ふゅーじょんぷろだくと)BL
ミツマル『ナンパな俺が女体化服従』(ジーウォーク)LE

2018年5月・第695回
南志都『心肺停止から始まる恋もある』(サン・メディアレップ)BL
星屑ノユ『異常愛執淫靡録1』(ロングランドジェイ)BL

2018年6月・第696回
大見武士『 淑女たちの都市伝説 蜜桃のしたたり』(リイド社)LE
マノ『メガネ屋さんとイケメンくん』(コアマガジン)BL

2018年7月・第697回
あかつき美邑『西園寺先生の逝っちゃうセックス♂ファイル』(ジュネット)BL
千歳ぴよこ『大きなモノとご主人様』(海王社)BL

2018年8月・第698回
アンソロジー『調教覚醒BL』(英和出版社)BL

2018年9月・第699回
八月薫『本当にあった たまらない話』(リイド社)LE
アンソロジー『メスイキ×強制BL』(メディアソフト)BL

2018年10月・第700回
蔓沢つた子『嫌いじゃないけど人間てコワイ!! 』(竹書房)BL
(BL=Boys Love、LE=Light Erotic)

全20冊中、ほぼ女性向けのBLが14冊、ほぼ男性向けのLEが6冊と完全にBLがダブルスコア以上という大差をつけています。LEの6冊中、山本直樹さんの作品は第2巻が指定されていて、八月薫さんと大見武士さんは、新刊を出すたびに指定される累積指定回数1位と2位ですから新顔は3冊ということになりますが、3冊ともムーグコミックスピーチシリーズという同じレーベルで、株式会社ジーウォーク、有限会社トライアングルフォース、ロングランドジェイ有限会社の登記上の住所は全く同じです。ある意味「指定席」と言えるかもしれません。

ジュネットコミックス・ピアスシリーズを出しているジュネット株式会社とサン・メディアレップ株式会社はマガジン・マガジン株式会社の系列ですが、BLの発行元は散らばっています。

長年、不健全図書類指定をウォッチしていると毎年、BLを中心とする女性向けジャンルが増加し、男性向けジャンルの指定が減少して行くことがわかります。今年が偶然ではありません。しかも、今年指定を受けた八月薫さん、大見武士さん、山本直樹さんはいずれも高品質な作品なんですが、他の三冊は新人作品で未完成感がありました。ところが女性向けジャンルは明らかに力が籠もったいい作品なんですね。

これには幾つか理由が考えられます。ひとつには男性向けのライトエロジャンルの過激な表現がほぼ潰され、残っているのは意地でマークをつけない出版社のコミックスだということです。逆に女性向けジャンルがTLやレディースコミックが皆無で、BLオンリーとなったのはBLの勢いがまだまだ健在だと見るべきでしょう。ただ、規制の歴史が浅いBL業界に「この程度だと指定される」というラインが共有されていないという点も見逃せません。

BL無罪論は夢物語にすぎません。出版社側の対応としては青少年審議会が問題視している表現、つまり強制性交やSM的な表現を抑制し、修正の面積を大きくし、性具を使わず、体液と擬音の表現を少なくし、性表現自体のページ数を減らし、表紙と帯をおとなしくし、目立たないようにするというソフトコア化か、現状の性表現を維持する代わりに成年コミックマークを受け入れるか、ということになります。もちろんマークも付けず、現状のままでロシアンルーレットに賭けるという選択肢もあります。どういう対応策を採るかは作者と出版社の考え次第でしょう。

どんな対策も一長一短がありますが、根本的な解決は青少年条例の改廃です。現時点では不可能に思えるでしょう。しかし、そのための布石、つまり、表現規制に反対か、または不健全図書指定制度に疑問を感じている都議会議員を一人でも増やすことを、そろそろ考えないと、毎月1~3冊程度の生贄を差し出すことを良しとする事態は変わりません。

◆日本全国青少年条例の旅

こちらは不完全のままですね。メルマガでは長崎県、福岡県、北海道、神奈川県、静岡県と、それぞれ特色のある道県の有害図書類指定状況を紹介しました。まだ40府県以上が手つかずのままです。

都道府県の有害図書類指定について調べてみて、意外だったのは毎月個別指定を行っている県が少なかったことです。昨年一年間の実績では東京都、静岡県、愛知県、福岡県のわずか4都県にすぎません。福井県、和歌山県、鹿児島県、そして基本は月1ですが指定なしの月もあれば月2回指定する場合もあり、不定期に年12回という石川県を加えても8都県です。

逆に全く個別指定を行っていないのが埼玉県、千葉県、神奈川県、新潟県、長野県、岐阜県、三重県、滋賀県、大阪府、兵庫県、奈良県、広島県、山口県、徳島県、高知県、佐賀県です。面白いことに滋賀県は今年3月に、突発的に17冊の個別指定を行い、その中に黒沢哲哉さんの『全国版あの人のエロ本自販機探訪記』が入っていたために物議を醸しました。

では、全く個別指定を行っていない県や指定回数の少ない県は「野放し」状態なのかというと、そうではありません。包括指定による「見えない指定」を行っています。しかもその中には神奈川県のように青少年審議会を通さない形で、実質的には個別指定と変わらない「包括指定図書類の例示」を行っていたり、静岡県のように青少年審議会を通さず知事判断という形での“緊急指定”を毎月行っていたりします。

出版社が集中している東京都にマンガの不健全図書類指定は任せておいて、その地方の問題に合わせて暴力団情報系実話誌、暴走族雑誌、地域限定の風俗系フリーペーパーに絞って指定するというスタイルもあります。

東京都以外の地方自治体では予算が潤沢に使えない、審議会委員の数が限定されるなどの制約が大きいのかもしれません。とはいえ条例がある以上、やらざるを得ないわけですね。

そのため、これまで見てきたように北海道、滋賀県、長崎県などのように、青少年課担当職員の判断によって、「それは変でしょう」という指定が行われることもありますし、議事録も残さないようないい加減な審議会運営が行われたりするわけです。また審議会や審査部会の委員の数も少なく、諮問図書類の販売制限の可否、すなわち青少年だけではなく成年者の知る権利、楽しむ権利を制限する結果になるにもかかわらず、委員に憲法学者や弁護士がいないことも多いのです。

東京都審議会は議事録も公開され、ある程度の公開性を担保している分、他の道府県よりはマシだということはできるのですが、諮問図書類が100%指定図書類となること、満足な議論が行われず、委員の発言が定型化している点は形骸化、形式化が進んでいると言わざるを得ません。

◆今後の活動について

もちろん今後も東京都の不健全図書類指定、道府県の有害図書類指定についてはウォッチを続けていきます。東京都不健全図書類レポートは『マンガ論争』で継続していますが、いずれは月刊ペースで小誌公式サイトまたはnoteで発表していく予定です。道府県の有害図書類指定状況についても同様の形で公開したいと思っています。ただ、ぶっちゃけ、小誌も運営的には赤字ですので有料(低額)になるかもしれません。

小誌及び永山個人は今後もなんらかの形で、山田太郎さんの活動にコミットしていきます。短い間ではございましたが、ご購読を改めて感謝いたします。

永山薫(@Kaworu911)

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==今さら訊けないキーワード解説==
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▲▽第二十三回 「表現の自由」と「公共の福祉」&最後のご挨拶▽▲

よく目にする、耳にするものの、聞かれてみれば意外と正しい意味を知らない。そんな用語の解説を行ってきたこの企画も、いよいよ最終回となります。最後は山田太郎サロンらしい用語と言えるでしょう、「表現の自由」について解説したいと思います。

さて、一口に「表現の自由」と言っても、この概念の歴史は古く、叙事詩『失楽園』を書いたジョン・ミルトンが1644年に発表した『アレオパジティカ』が初出と思われます。また皆さまおなじみのヴォルテールは「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」と言った(著作ではなく発言が記録されたもの、との説があります)そうですが、彼は18世紀の人物です。

この概念は民主主義の基本理念として世界中で採用されていますが、この辺りから解説していくと文字数がいくらあっても足りないので、ここからは日本国憲法第21条にある「表現の自由」に絞って解説していきます。

■憲法第21条はかなりシンプル

憲法第21条は、「集会の自由・結社の自由・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密」について規定しています。表現の自由だけではなく、広く“表現すること”全般を守る条文です。以下に全文を転載します。

第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

はい、これですべてです。細かい補足などはなにもなく、この書かれている内容がすべてです。非常にシンプルな条文ですが、それだけに様々な解釈がされることもあります。

ストレートに読むならば、言論や出版などは基本的に何の制約もなく、誰でも自由にやっていい、ということになります。他者を批判してはいけないとか、エロいものはダメ、下品なものは却下、といった条件はありません。文字通りの「自由」です。

しかし、さすがに何を言っても書いてもいいというのでは、色々と不都合があります。そこで表現の自由を制約するのが、同じく憲法の第13条です。

第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第13条もシンプルですが、一般的にはここにある「公共の福祉に反しない限り」が、表現の自由を制約すると言われています。そして重要となるのが、「公共の福祉」とはなにか、です。ちなみに、「公共の福祉」は第12条、22条、29条にも登場しますが、基本的には同じ内容だと考えられます。

第13条を見ればわかるように、「公共の福祉に反する」場合は、同じく基本的人権である表現の自由などの権利は制限されます。人権を制約するのですから、かなり強い力を持った概念であると言えます。

■「公共の福祉」って一体何だ?

その語感から、「公共の場所」「世間一般」「多くの人を守ること」といった内容を連想しがちな「公共の福祉」ですが、正しくはそうした意味ではありません。現在通説として認識されているのは「人権相互の矛盾を調整するために認められる実質的公平の原理」というものです。

突然やたらと難解になりましたが、わかりやすく言えば「人権同士がバッティングしたときの判断基準」です。例えば「表現の自由」があるからと言って、誰かを誹謗中傷してはいけません。それはその表現が、他者の幸福追求権やプライバシーの権利といった人権を侵害するからです。基本的に人権は守られなければならず、「公共の福祉」も人権を守るために適用され、他の権利を制約します。

どのような状態が「他者の人権を侵害する、公共の福祉に反する内容」なのかを決めるのは、一般的には法令です。他者の人権を侵害する行為は犯罪行為であって、そうした場合には表現の自由も制約を受けます。逆に言えば、“法令違反でなければ公共の福祉には反していない”と考えることもできます。

また、「公共の福祉」の概念が保護するのは、そのイメージに反して世間一般などの不特定多数ではなく、あくまで個人の人権です。これも「わいせつ罪(刑法175条)」のように個人法益の保護ではない場合もあるのですが、その多くは個人の人権が侵害された場合に働く概念です。

以上が「表現の自由」と「公共の福祉」の解説ですが、ご覧のように憲法の条文は簡潔であり、多くの解釈が可能なものです。そのため、どう解釈するかには多くの学説があり、今もその議論は続いています。今回紹介した内容は、学説の中でも広く支持され通説となっているものですが、いつかその解釈は変わるかもしれません。とはいえ、現在の日本においては、解説したように「他者の人権を侵害しない限り表現は自由に行える」と考えて良いでしょう。

■“お気持ち”と“思想の自由市場”

ここからは余談となりますが、かなり制約の少ない「表現の自由」は、どこまで許されるのか。最近良く聞く批判に「他人に不快な思いをさせてまで表現の自由を認めるべきなのか」というものがあります。その最たる議論は「ヘイトスピーチ問題」ですが、萌え絵やエロいものを排除もしくはゾーニングせよ、規制せよといった意見の際にも「他人の不快感」が持ち出されることがあります。

確かに誰しも、目にしたくない表現、嫌いな表現はあるものです。しかし、心を鬼にして、こう言わなければいけません。「他人に不快な思いをさせても、表現は自由です」。

先程解説した憲法解釈から言えば、「他人を不快にさせること」自体は法令違反ではありません。他者の人権を侵害してもいません。「お気持ち」以外に被害を与えていませんから、法律で取り締まることもできません。であれば、基本的人権である「表現の自由」は守られなければなりません。

「お気持ち」の面から言っても、繰り返しますが、誰でも嫌いな表現はあるものです。「誰かを不快にさせてはいけない」と言われてしまえば、極論何も表現できなくなります。大ヒットした作品にだってアンチはいます。ハッピーエンドが大嫌いな人もいます。ネグレクトを受けた経験があれば、親子の愛情物語はトラウマを刺激する不快な表現でしょう。童話や童謡だって、描写やメロディによっては子供に恐怖感を抱かせることもあります。

なので、「お気持ち」を理由に「表現の自由」を制約するということは、イコール「すべての表現が規制される」と同じことです。そして「すべての表現を規制」することなどできるはずもないので、逆説的に「すべての表現は自由」であるべき、となります。

「極論を持ち出すな、多くの人が不快になる表現はあるだろう」と言われるかもしれませんが、ではどうやって「この表現は多くの人を不快にする」と判断するのでしょうか。誰が判断するのでしょうか。どうやって調べるのでしょうか。それは不可能です。

また、多くの人が実際に不快となるような表現は、当然ながら多くの人から嫌われます。これが商業出版物であれば、とても売り物にならない、誰も買わない表現ということになりますから、自然と世の中から消えていくでしょう。商業出版物でなくとも、おかしな意見は広く同意を集めることはないでしょうし、支持者が少なければその意見も広まらないでしょう。

これは「思想の自由市場論」(※1)と呼ばれており、意見の交換を市場に例えて、優良な思想なら多くの人が買い求める、そうでないなら売れ残る、表現や思想の良し悪しはそうした市場原理を経て、残ったり廃れたりする、とする論です。

この論の面白い点は、あくまで表現の判断は市場に集まる客、つまり我々一般市民が判断するという点でしょう。とある思想や表現についてジャッジするのは、権力者ではなく我々だ、という部分は重要です。権力者側、国や政府が表現の内容について判断することは許されません。「この表現は市場に出しちゃダメ」と権力者側から言われるなら、それは自由市場ではありません(もちろん「公共の福祉に反しない限り」)。

世界の国々も、日本も、権力者が表現の自由を奪った過去を持っているからこそ、こうした論が支持されるし、憲法でも検閲を禁じるなどしているワケです。

とはいえやり過ぎは良くないよね、配慮もいるよね、ということで近年はゾーニング、レーティングが導入され、また憲法や法令よりは下位ながらも各自治体は青少年保護条例を定めたりもしています。が、これらはあくまでも「破れば法律違反」という立て付けにはなっていません。出版社、販売店舗が自主的に行ったり、各自治体に限定しての運用となります。

■表現の自由は修羅の権利

表現の自由を守る活動や、著作権関連で八面六臂の活躍をする山口貴士弁護士は、こんな面白い喩えをしていました。

「表現の自由とは、“表現の自由”と書かれた棒でお互いを殴り合う、修羅の権利だ」

先程も触れましたが、とある表現はかならず他の誰かを傷つける可能性があります。そうであっても、棒で殴られたとしても、歯を食いしばって表現の自由は守らなければなりません。だからこその“修羅の権利”と喩えています。

また、自分が殴られないように他者の棒(表現)を取り上げるということは、自分の棒も他の誰かに取り上げられるということです。一方的に他者の表現を禁じ、自分の表現だけは保護させるということは、不可能です。であれば、やはり他者から殴られることも許容しなければなりません。

このメルマガを購読している皆さんであれば、表現の自由は大切な人権であるということは、ご存知だと思います。この権利の意味を正しく知れば、誰でも好き勝手に表現できるお気楽でハッピーな権利などではなく、他者を傷つける可能性があっても、なお守らなければいけないシビアな権利であることを理解していただけるのではないでしょうか。

そして、表現の自由とは、人権とは、憲法とは、主に権力から私人を守るための概念です。権力者に個人の人権を侵害させないためにあるものです。私人同士、我々同士で殴り合っている場合ではないし、なるべく棒で他人を殴らないよう、そして多少殴られても許せるよう心がけつつ、豊かな表現を楽しんでいきたいものです。

◆注釈
※1:「思想の自由市場」論
ジョン・ミルトンは著書『アレオパジティカ』で「公開の場ですべての人が自由に発言すれば、真実で健全な意見は必ず勝ち残り、誤った不健全な意見は敗退する」と延べ、表現の自由の重要性を訴え、権力による検閲を批判した。また19世紀、アメリカ合衆国の最高裁判事オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは「真理の最良の判定基準は、市場における競争のなかで、みずからを容認させる力をその思想が持っているからである」と述べ、やはり表現内容の判断は表現同士を自由に戦わせて優劣をつけることが重要だとしている。

■ご挨拶 メルマガご購読者様へ

本メルマガでは、主にこの「今さら聞けないキーワード解説」連載に加え、さんちゃんねる書き起こしのまとめや全体的な編集作業などを担当して来ました。長らくのご購読、ありがとうございます。

この「キーワード解説」の連載は、私自身が誤解していたり、よく理解していないことが多いことを『マンガ論争』執筆の途中で多く気付かされたことがきっかけで思いつきました。もちろん調べた上で正確を期して執筆していましたが、逆に言えばしっかり調べてみないと誤解に気づけなかったワケです。

そうした経験から、自分で言うのもなんですが、普段から表現の自由や著作権関連のことを調べ続けている自分でも間違えがちな用語などは、皆さんもよく知らずに使っているのでは、ということで始まった企画です。著作権関連の用語が多かった気がしますが、これは私の趣味みたいなものです。好きなんですよ、著作権(の、おかしな判例とか)。

心がけたのは、難解な用語を解説するだけに、なるべく簡潔にわかりやすく、ということです。法律用語などはざっと読むだけでも大変ですから、あえて大雑把に翻訳してみたり、なるべく理解しやすい例えを交えてみたりと工夫してみました。いかがでしたでしょうか。

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思えば、私が著作権を好きな理由は「自由さ」と「グレーさ」が入り交じる、二次創作同人界隈の面白さにあったようにも思います。私自身はさほど同人誌を読むワケではないのですが、コミケに代表されるあの界隈のエネルギーは実に興味深く、面白い。

恐らくお白州に上げられればアウトとなるのが二次創作ですが、権利者はあえて黙認し、同人作家やファンはそのグレーな海を自由に泳ぎ回ります。そのグレーさを悪用する者もいますし、やり過ぎて殴られる者も出てきます。その様を眺めているのは、非常に楽しい。

そして、多くの二次創作作家やそのファンは、黙認してくれる権利者に感謝をしつつ、実に楽しそうに同人活動をしている。私が『マンガ論争』やこのメルマガで書いてきた原動力としては、そうした「楽しい場」で遊ぶ作家やファンたちの手助けをしたい、というものがありました。

やかましく規制しようとしてくる権力者たちや、過剰なゾーニングを求めてくる「お気持ち」な方々に負けず、皆で自由に表現活動を楽しんでもらいたい。微力ながらその手助けをしたい。なんならおこぼれにも預かりたい。この活動は、今後も『マンガ論争』で続けていくことになると思います(活動縮小気味ですが)。

また『マンガ論争』誌上で、あるいはどこかのイベントなどで、お待ちしています。皆で楽しく表現の自由戦士として、“修羅の道”を歩いていきましょう。

佐藤圭亮(@demodori_s)

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==山田太郎が登場する イベント予告==
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■C95 表現の自由を守る会・AFEE 山田太郎コミケ街宣(予定)
日 時:2018年12月29日~31日
時 間:14時30分~16時30分
場 所:りんかい線国際展示場駅前ロータリー
*天候により、短くなる可能性があります。当日の詳細は
Twitter @yamadataro43 をご確認ください

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==山田太郎が登場した メディア総覧==
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2016/11/17
ネットには神様がいる 「ネットは票にならない」が覆った日
価格:1,296円(税込み)
ISBN:978-4-8222-3988-6
発行元:日経BP社
http://bpstore.nikkeibp.co.jp/item/books/258120.html

2016/12/29
マンガ論争Vol.16 『表現と消費者:山田太郎氏と坂井崇俊氏に訊く』
公式HP:http://manronweb.com/mangawars/

2016/12/29
ニコニコ生放送 『メディアが伝えない「コミケが危篤だった日」の真相【山
田太郎と考える「表現規制問題」第1回】』
http://live.nicovideo.jp/watch/lv285330229

2017/01/26
ニコニコ生放送 『漫画・アニメはなぜ国連から敵視されているのか?【山田
太郎と考える「表現規制問題」第2回】』
http://live.nicovideo.jp/watch/lv285986999

2017/02/09
ニコニコ生放送 表現の自由をめぐる諸問題(児童ポルノ規制法・通信の秘密
)【山田太郎と考える「表現規制問題」第3回】
http://live.nicovideo.jp/watch/lv287416017

2017/02/23
ニコニコ生放送 表現規制の本丸は「自主規制」~誰が敵で誰が味方か~【山
田太郎と考える「表現規制問題」第4回】
http://live.nicovideo.jp/watch/lv287416598

2017/04/24
ニコニコ生放送 表現規制の歴史~過去「風と木の詩」から未来「青少年健全
育成法」まで~【山田太郎と考える「表現規制問題」第5回】
http://live.nicovideo.jp/watch/lv287887033

2017/10/13
スマダン 右も左も極端な考え方は「表現の自由」を嫌う――前参議院議員、
山田太郎さん
http://www.excite.co.jp/News/smadan/E1507102952423/?utm_source=dlvr.it
&utm_medium=twitter

2017/10/22
ニコニコ生放送 【第284回】衆院選、開票裏番組。表現の自由派と今後の国
政の見通しは【前参議院議員山田太郎のさんちゃんねる】※衆院選投開票日特

http://live.nicovideo.jp/watch/lv287887033

2017/12/17
ニコニコ生放送 JASRAC理事長に山田太郎・ひろゆき等が鋭く切り込む!
http://live.nicovideo.jp/watch/lv309319591

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●山田太郎略歴(https://taroyamada.jp/?page_id=13)
慶應義塾大学経済学部、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程。
外資系コンサルティング会社などを経てネックステック社を創業、
同社を実質3年半で東証マザーズに上場。その後、参議院議員就任。
東大・東工大・早大などでも教鞭をとり、著書も多数。
現在ニューカルチャーラボ代表

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